唐澤塾
唐澤豊が情報通信技術+経営術+人生術+創造性を中心に一期一会を追求する私塾
国産スパコンなんて戦艦大和のようなもの
政府の行政刷新会議は2009年11月13日、事業仕分けで、文部科学省が推進する次世代スーパーコンピュータ事業を事実上の「凍結」と判定した。

それに対して、ノーベル賞受賞者を中心とした科学者が猛反発をした。

ーベル賞受賞者らが仕分け批判で集結 「世界一目指さないと2位にもなれない」

これに関連して、日経BPサイトだけでも、様々な議論がされている。

スパコン,事業仕分けで事実上の「凍結」と判定 [2009/11/13]

東葛人的視点】国策スパコンを事業仕分けで凍結,これはグッドニュースだ [2009/11/20]

スパコンの凍結、関係者の猛反発を受け政府・与党が復活を示唆 [2009/11/24]

記者のつぶやき】国産の次世代スパコンは必要でしょうか?  [2009/11/27]

東葛人的視点】あえてもう一言、国策スパコンを作る目的は何なのか [2009/11/27]

実は、このプロジェクトには3社が開発を担当したいたが、NECが撤退し、そして日立も事実上の撤退となり、残るは富士通のみとなっているのだ。

NEC,国策の次世代スパコン開発から撤退,「事業は継続」と強調 [2009/05/14]

NECが撤退した表面上の理由は開発費負担に耐えられないという経済的理由だそうだが、裏では技術的な方式論争の結果との見方である。

続報]国策スパコン,複合システム断念へ [2009/05/14]

そして、12月3日の朝日新聞のオピニオン欄に;

野依良治氏(理化学研究所理事長;ノーベル賞受賞者)の
「科学技術振興 1番目指してこその未来」

中村維男氏(米スタンフォード大教授;計算機科学専門)の
「次世代スパコン 計画をゼロから立て直せ」

という投稿があったそうだ。
これについても賛否両論のようだが、一例には下記のようなものがある。

無内容な野依良治氏の「世界1のスーパーコン」擁護論091203

こうした議論を見ていて、ふと思ったのは、

戦時中に世界一の戦艦を作ろうとあらゆる技術を駆使したと思われる戦艦大和と今回の国産スパコンとの類似性である。

日本が第二次大戦に負けたのは、世界各国の情勢を正確に分析し、理解していなかったことが原因であると思うが、それをちゃんと理解し、東大の授業で講義した先生がいたのだということを、今年、海軍で戦争を体験された東大卒の方から伺った。その方は、東大の授業は全く面白くなかったが、その授業だけは面白かったと語っておられた。

今、戦争は無人爆撃機にクラスター爆弾を搭載して遠隔操作で戦うようなことになっており、誰も戦艦大和のようなものを作ろうとはしないだろう。

スパコンにしても、高性能の専用チップを開発し、それを相当数の並列処理方式のハードウェアと専用ソフトウェアで実現するのはもう古い。丁度、戦艦大和が、戦闘機や潜水艦など、動きの早い敵に攻められたら動きが遅い戦艦はひとたまりもないように、どんどん変化する中で、計算性能を低価格かつ短時間に上げて行けなければならない状況では、瞬時の世界一を達成しても、その開発コストは無駄となってしまう。

今は、グリッド方式やクラウド方式で、1つのコンピューターの基本性能はそれほど高くなくても、安くて大量に手に入るものを使って計算処理能力を上げることが主流となっている。

一例として、長崎大学工学部の浜田剛助教を中心とするグループが開発したスパコンが、市販の画像処理装置を760個使って、158テラフロップス(1秒に158兆回計算)という「日本最速」性能を実現した。これまでの国内最速は、NECが海洋研究機構に納入した「地球シミュレータシステム」の122.4テラフロップス。そして、この開発費が何と、たったの3800万円ということだ。

西日本新聞:http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/136999

また、インテルは48個のCPUを搭載した「シングルチップ・クラウド・コンピューター」を試作したと12月2日に発表している。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20091203/341438/

これからのサーバーにはこうしたチップが搭載されることになるだろうから、性能は一気に上げられる。

こうしたことをノーベル賞受賞者の先生方はご存知ないようだ。餅は餅屋と昔から日本では言うではないか。
門外漢が変な言いがかりをつけると赤っ恥をかくことになる。

今更、戦艦大和を作っても世界のスパコン戦争には勝てないのであって、日本中のパソコン所有者に、空いてる時間を国家プロジェクトのために使わせて貰る国民総力戦にすれば、個人が買い替える毎に性能はどんどん上がって行くから、スパコンなんて不要だ。

唐澤豊@唐澤塾
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グーグルの新サービス2つ
グーグルが最近、新しいサービスを2つ始めた。

ひとつはクロームという無料のブラウザーで、応答スピードがマイクロソフトのインターネット・エクスプローラーやモジラのファイアーフォックスよりも早い、というものだ。

早速試してみたが、確かに早い感じだ。ただ、まだ始まったばかりのベータ版なので、どの機能だったか忘れたが、問題があったので、常時使う設定にはしていない。

もうひとつは既に提供されている地図のサービスに「ストリートビュー」という人の目線くらいで撮った写真が見られるサービスである。

それが一体どういう役に立つのか?という意見もある。

日経BP社ITProサイト:Googleストリートビュー,面白いけど目的は何?:
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/OPINION/20080905/314188/

また、肖像権やプライバシーに抵触するのではないか?という意見もある。

ねとらぼ:「Googleストリートビュー」は見えすぎちゃって困る?:
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0808/06/news095.html

しかし、オプトアウトと言って、削除して欲しいと申請すれば、削除してくれるということだし、人の顔がはっきりわかるような写真の場合はボカシを入れている、ということなので、法的には問題ないということだろう。

これは便利だ、というのは、新しい住まいを探す場合に、物件を見る前に、ストリートビューで周辺を見て、良さそうなら見に行く、ということにすれば、時間の節約になるとは、最近引っ越し先を探している人の話で、なるほどと思った。

訪問先や待ち合わせ場所も、二次元の地図だけだと、現場のイメージがわからないが、ストリートビューを見ておけば、勘違いや思い違いをすることも無いだろう。

それにしても、都内は既にかなりの範囲のストリートビューが掲載されているが、よくまあ、あれだけの写真を撮ったものだと感心する。それも1枚づつのショットではなく、連続写真なのだ。これにはびっくりした。

これから色々な使い方が出て来るのだろう。

唐澤豊@唐澤塾
カオスコンピューター?
私がインテルで開発に関わっていた頃にも、社内ではニューロコンピューターの開発プロジェクトがあったが、途中でプロジェクトは無くなったと思う。

個人的には人間の脳が右脳と左脳では役割が違うと言われているように、論理を司る左脳のように、ひとつは従来型のノイマン型の論理回路によるプロセッサーにして、情緒やアートを司る右脳のような直感的処理はニューロン型のプロセッサーにすればいいのではないかと考えている。

最近は脳の研究も進み、カオス(混沌)も簡単な方程式で表わせることがあるということで、カオスの研究が進んだ。東大の合原一幸教授は、ニューロンのカオス的な働きを発見し、数理モデル化した。そして、そのカオス的な振る舞いが、どのように脳の情報処理を実現しているのかを、東京電機大学の堀尾喜彦教授と協力して、ニューロンのカオス的働きを電気的に再現するチップの開発に取り組んだ。その結果、1つのチップに5つのニューロンを搭載するIC「カオスニューロチップ」を開発したという。

このチップを複数個搭載したカオスコンピュータを使うと、通常のノイマン型コンピュータが不得意な複雑系の課題を高速に解決することができたという。

(東京電機大学堀尾研究室にリンク)

ノイマン型コンピューターが発想されたのは私が生まれた年と同じ1946年で、まだまだ若い!
カオス型コンピューターが開発されたことで、まだまだコンピューターは面白そうだ。

東京大学合原・鈴木・河野・小林研究室:http://www.sat.t.u-tokyo.ac.jp/

東京電機大学堀尾研究室:http://www.d.dendai.ac.jp/Sotsuron06/Horio-Lab.html

唐澤豊@唐澤塾
事実と真実
元米国副大統領のアル・ゴア氏が“人為的に起こる地球温暖化の認知を高めた”ということで、ノーベル平和賞を受賞したことは既に多くの人が知っていることだろう。

ゴア氏が地球環境の変動の様子を映像やグラフで示した映画「不都合な真実」は、2007年アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞している。

しかし、この映画の内容は真実ではない、と異論を唱える学者も多いと聞く。確かに将来の予測には学者によって様々な意見があり、北極の氷が融けたら海面がどれだけ上昇するか?といったことの予測も色々な数字がある。

ここで、事実と真実について、考えてみたい。

私は事実とは物事の実際、あるいは時の実際で、時実と言ってもいいが、その時々で変わる可能性もあるし、観察・観測している人によって変わるものだと考えている。

それに対して真実はひとつしかないが、それを明確にするのはこの宇宙の全てがわからないとこれが真実だと断定できないと考えている。

そういう意味では、ゴア氏が「不都合な真実」と名付けたことにはちょっと無理があって「不都合な事実」であったならば、異論には対抗できたと思われる。

事実は人によって異なるとはどういう意味かを説明しよう。

まず、デジカメの基本部品を想像して貰いたい。
それらは、被写体から反射された光が、レンズ>受光素子>画像処理素子>記憶素子という順番で処理される。
同じ被写体を撮っても、デジカメによって、あるいはメーカーによって、出来上がった写真は随分違うことは皆さんも目にされていることだろう。それは、レンズや受光素子の特性が微妙に異なるから当然のことである。

これを人間の場合に当てはめると、同様に被写体から反射された光が、レンズ(水晶体)>網膜>脳という順番で処理されている。人によってレンズの周波数特性は異なって当然であろう。またデジカメと違って、人間の脳は、過去の記憶を参照したり、それと照合したりして、それが画像処理に影響していると考えられる。そうすると、実は同じ被写体を見ていても、人によって、かなり違うものをイメージしている可能性が高い。

幽霊を見たと言う人と、そんなものは存在しないと言う人がいるわけだが、魂が存在すると仮定して、それはこの可視の世界に存在するわけではないので、物体と同じように見えるはずはない。見たと言う人は、何らかのエネルギーを感じて、脳内にある過去の記憶情報から映像を創り出して、見たと思っているだけであると私は考えている。

ちっと横道に逸れたが、十人十色、百人百様という言葉があるように、ひとつの事実を同時に観察しても、その捉え方、心象は異なるわけである。また時間や場所が変われば、そこからの反射光は微妙に違うはずであるから、それでも変わると考えて良いであろう。これらは、目に見える物体についてのことであるが、それすらも、物体の存在はひとつの事実と言えるが、ミクロのレベルで考えれば、電子・陽子・中性子の集まりであって、常に動いているものであるから、そこからの反射光も常に一定ではない。となると、真実とは何か?となると簡単には定義できない。

それが、現在の地球環境の観測データといったものになれば、どこまでどう測定したかでデータは大きく変わることは容易に予想できるだろう。それに基づいて、将来予測をするとなれば、更に大きく変わるだろう。ある時、可能な限りのデータを集めたとして、それはその人に取っては事実である。だから、ゴア氏が述べていることが間違っているという指摘はナンセンスなのである。彼にとっては、その時、それが事実であったのだ。別のデータが手に入れば、また別の結論になった可能性は高い。

ということで、他人の意見が事実だ、事実でない、という議論をすることは捏造や解釈の誤りや計算違いが無い限りはナンセンスである。

唐澤豊@唐澤塾
セカンドライフについての私見

以前に紹介したことのあるネット上の三次元仮想現実空間「セカンドライフ」であるが、企業も取り敢えずトレンドに遅れないようにと、ぞくぞくと参加しているようだ。
バービーやリカちゃんのような着せ替え人形で遊んだ経験のある30代~40台の女性がハマッテいるとの話もある。

「人生ゲーム」という子どもの遊び用のゲームで遊んだ世代には、リアリティー観が全然違うということでハマッテいる人もいるようだ。

マンガ、ゲーム、アニメがジャパニーズ・クールとして世界的にもてはやされていて、外貨も稼いでいる。セカンドライフは技術的にはネットワーク・ロールプレーイング・ゲームに近いので、これから本格的に普及する時代になれば、また日本企業が活躍するのではないか、という見方もある。

しかし、これらは全て、儲かれば良い、という考え方に基づく判断である。集英社のマンガ週刊誌「少年ジャンプ」の立ち上げから関わり、2代目の編集長をされた方に、別会社に移籍されてから話を伺った時「ちょっとやり過ぎたかな?と思っている」と述べておられたのが印象に残っている。これはどういう意味かと言うと、売れるためにはどうすれば良いか?ということで試行錯誤して発行部数では、二度と破られることの無いような業界の記録を作ったわけであるが、それを読んで育った子どもたちが大人になり、そして子どもを持つ親になった今、様々な問題が出ているわけで、これで良かったのだろうか?と反省しているということだ。

人生は何のためにあるか?ということに対する答えは様々だどうが、私は津留晃一さんの「体験するためである」という考え方に賛同している。それからすると、マンガ、ゲーム、アニメも仮想体験ばかりであって、それに多くの時間を費やして来た子どもたちは、実体験不足、ということになる。それが現在、対人関係に起因する様々な社会問題の原因になっているのではないかと思う次第である。

ましてや、更に現実に近い仮想体験ができるセカンドライフは、現実に近いが故に、自分が現実の世界に居るのか仮想の世界に居るのか、大人でさえ混乱するのではないかと思う。まあ、今のところ子どもがセカンドライフをやるには高性能パソコンとブロードバンドという条件があるので、それ程多くの子どもたちがやるとは思えないが、大人でも、仮想体験に時間を費やしても人生の目的は達成されないだろうと思う。

まだ人生ゲームのようなプリミティブな遊びの方が想像力を養うことにはなるだろう。私も以前、ゲーム・ビジネスに少し関わったことがあるが、ゲームは現実に近い映像の究極である実写映像を使って作っても面白くないのである。遊ぶ人の想像力が少しは加わるよう、デフォルメや省略されている方が面白いのだ。

セカンドライフは多分これから流行るのだろうと思うが、大人も子どもも、もっと実体験を沢山するようにすべきだろうと思う。そうしないと、本来の目的から外れて、無駄な人生を過ごすことになるだろう。

唐澤豊@唐澤塾
続・神とコンピューター(3)---松井選手の記憶力

テレビ東京の1月8日放送の「カンブリア宮殿」は、NYヤンキースの松井秀喜選手とサッカーの三浦知良選手をゲストに迎えて「ヒーローは走り続ける」というテーマで、村上龍さん、小池栄子さんのインタビューや、二人の初対談、それぞれの過去の映像などが紹介されました。
もう少し対談が中心かと思っていましたが、過去の映像が多かったので、ちょっとがっかりした面があります。

そんな中で「松井選手のホームラン記憶」ということが紹介されて、日本で打った332本のホームランについて、いつ、どこで、誰から、どこに打ったか、全部記憶している、ということでした。実際にビデオ映像を見て、これはどこで誰から、何回に打ったか、その次はどこで、誰から、といったことを話していましたので、確かに記憶しているようです。流石に、一流の選手になると、すごいものだと思います。しかし、松井選手でも、全ての試合の一部始終を記憶しているわけではないようです。

同じような話を知り合いの人から聞いたことがありますが、その人の同僚だったか先輩だったかで、今までプレーしたゴルフのことは全て記憶している人がいる、とのことです。どこのゴルフ場にいつ行って、誰とフレーして、最初のホールはどうで、スコアはどうで、と自分のことだけでなく、ラウンドした人のスコアまで全部覚えている人がいるとのことです。

こういう人は、記憶力がいいのでしょうか?
でも、聞くと、それ以外のことは余り記憶しているわけではないそうです。

私は、以前から、人間の記憶構造は、もしかしたらコンピューターの記憶構造と似ているのではないか?いや、正確には、現在のコンピューターの構造を考えた人は、意識してか、していないかはわかりませんが、人間の記憶構造を真似しているのではないかと思っています。

現在のコンピューターは、キャッシュ・メモリーという一時記憶があって、そこにデータも命令も限定された領域に読み出してきて使います。最近は、更に、一次キャッシュ、二次キャッシュと階層化されているのが一般的になっています。

人間で言えば、目覚めている時に使われ、脳の一部にあって、常時使われている記憶、あるいは意識、即ち、顕在意識ということではないかと思います。人間の脳の場合も、キャッシュ・メモリーのように、一定限度の容量があるのではないかと思います。だから、新しく何かを記憶すると、古い何かは忘れてしまって、思い出すのに時間が掛かるのだろうと思います。逆に、さっきのことをもう忘れた、ということが、歳と共に増えて来る感じですが、それは、年齢と共に、一次キャッシュの容量も減り、一次キャッシュの情報はすぐに消えるので、繰り返して使うか、強烈に印象付けるといったことで、二次キャッシュに記憶しないといけないのかな?と考えています。

松井選手やゴルフ好きの人のように、あることについて鮮明に記憶している人というのは、ある特定のことになると、強烈に印象付けるような集中力が働くのではないかと思います、。しかし、それ以外のことになると、記憶容量不足で覚えていないのではないかと想像しています。

ホテルマンや政治家などで、1000人とか1500人とかの人の名前と顔を記憶しているという話を聞いたことがありますが、彼らもそれ以外のことになると、そんなに記憶していないのではないかと思われます。

キャッシュ・メモリーに持ってくる前には、メイン・メモリーがあります。これはある程度大きな記憶容量があって、人間で言えば、過去に記憶したものも含め、脳の1割程度が使われていると言われていますが、その部分に相当するのかと思っています。コンピューターの場合、この部分の記憶を取り出すには少し時間が掛かりますが、人間の場合も、常時使っていない情報だと、なかなか思い出せないことがありますね。あちこちの記憶を辿ってやっと思い出す、ということは皆さんもよくあることだと思います。特に歳を重ねると、段々と時間が掛かるようになります。メイン・メモリー内を検索するには時間が掛かり、使われた頻度によって、脳神経の太さが違い、太ければ早く、細ければ遅い、ということではないかと想像しています。

コンピューターの場合は、更にハードディスクのような外部メモリーがあります。これは、ある意味では必要ならどんどん追加して無限の容量
に増やすことができます。

人間の場合、脳の9割は使われていない、ということですが、そこに潜在意識が記憶されていて、それらは無線でネットワークされているのではないかと想像しています。即ち、60数億人の地球人の9割の脳細胞に記憶できるほどの大量の情報が潜在意識であり、それが神でもあるというのが、私が以前から想像している神の構造なんですが、どうでしょうか?

唐澤豊@唐澤塾
神とコンピューター ~その類似性~ (24) 技術者と経営者の分岐点
インテルのドイツ支社で、マイコンの開発に関する会議があった時、ひとつ気が付いたことがあった。それは技術者の年齢である。当時の私は40才くらいであったが、ヨーロッパの技術者は年上の人が結構多かった。それでいて、マイコンを使ったシステムのソフトウェアを開発したりしていたのである。当時の日本では、30才過ぎたらソフトウェア技術者はもうだめだ、使い者にならない、と一般的には思われていたから50才を過ぎても現役のソフトウェア技術者だと言われると、本当かなと疑ってしまった。

聞いてみると、ヨーロッパでは小さい時に自分の将来の仕事を選択してそれに従って教育を受け、職に就くので、技術者を目指している人は年を取ったら、より優秀な技術者を目指すが、管理職を目指す人は少ないということであった。

技術者とそうでない人との違いは何かというと、私の経験では、自分の手で物事を分析・解析し問題を解決しよう、という意志が強い人間ということになろうか?そうでない人とは、自分が望む結果さえ出れば、自らやるのではなく、他人をうまく使ってやればよいという、技術者の視点から見ると「ずるい」とか「世渡りがうまい」とかいうことになる。

一方、米国のエンジニアと呼ばれる技術者は、基本的には大学出身者であり、新卒でもアシスタントとしてテクニシャンを部下に持つから、最初から管理職の経験もすることになる。彼等は自分で実験や作業はやらないで、設計や実験計画を立てたり、結果を評価・判断することに専念している。仕事の効率という観点からすると、この米国流の方が、日本やヨーロッパよりも、持てる能力を最大限に生かし、本来の技術者がやるべきことに集中するので良い成果を上げ易いであろう。

そこで私は、部下であった技術者ひとりひとりのキャリアを話し合う時にいつも「一生技術者を通そうと思うならば、若い後輩に負けないように、常に新しい技術を身につける努力を続けなさい。将来、管理職や経営者を目指すならば、早めに技術者であることを卒業し、管理職の経験をすべきである」と言って来た。ところが大抵の技術者は、将来は管理職や経営者を目指したいが、今はもう少し技術のことをやりたい、と言うのである。結論を出すのは早い方が良いのだが、遅くても30代前半には自分の将来の道を決めなければならないと思う。物理学者の場合は25才までに目が出なければ、物理学者になるのは諦めた方が良いと言われているくらい、将来性は20代前半で決まるようだ。

技術者から管理職になり、それから経営者になるまでには、学ばなければならないことは沢山あるので、どちらの道を選択するかは早い方が良いというのが私の持論である。経営者であっても、技術者魂を捨てる必要はない、と最近は考えている。経営者であっても、技術者魂を捨てきれないでいるか、真の経営者となっているは、目の前に故障した道具をおけば判断できる。最初は自分で直してみようとするなら、まだ技術者魂を失っていないし、担当者など誰か人を呼んで直させるなら経営者と言えよう。餅は餅やということを良く理解しているからである。好きか嫌いかという意味では、いつまでも技術者魂を忘れない経営者の方が私は好きである。若さを保つ秘訣と一緒で、新しい技術に対する好奇心を忘れたら、理解できなくなってしまう。今の時代は、経営者と言えども、何でも広く浅く知っていなければ専門家の言うことを鵜呑みにすることになり、経営判断を誤ることになると思われる。

例を上げると、ペプシコ出身でアップルをスティーブ・ジョブスから乗っ取ったジョン・スカリーはコンピューターのことを知らないから会社を傾ける結果になったと思われる。ジョブスが復帰してアップルはまた蘇ったことは皆さん衆知のことであろう。ジョブスはその間、エンターテインメントなど、他の業界を勉強して来ているのも、現在の成功に寄与していると思われる。ビル・ゲイツもアンディー・グローブも元は技術者である。ハイテク業界でメーカーとしてビジネスをするなら、技術が理解できなければ、結局会社経営も難しい、というのが私の見方である。

技術者に限らず、一生、専門職を続けるのか、将来は管理職を目指すのかは、どちらを選択する場合にもクリアーしなければならない難しい問題がある。それは、専門職を続けると、いつかは自分の上司が自分より年下になるということである。また管理職になるということは、自分の部下の中には、年上で給料が自分よりも高い専門職がいる可能性があるということである。

管理職の役割は、その組織のアウトプットを最大限にすることであるから、少ない経費と安いコストでより多くの結果をより短い時間で出せば良いことになるわけだが、初めのうちは、それがなかなか割り切れないものである。私の場合も自分より年上で年俸もかなり多い部下を最初に何人か持った時は、少々とまどった。自分より能力があるならまだしも、もう少し頑張ってもらわないと、という部下の場合は尚更で「なんで?」と思ってしまった。部下はこちらの給料を知らないから「こいつ若いくせに高い給料貰ってるんだろうな」くらいに思っていたのだろう。いずれにしても、責任を持たされた組織全体が結果を出せば自分も評価されるから、いずれは彼等以上の給料になる、と長期的な見方に切り替えることにした。この場合はまだ良いのだが、逆に自分より相当若い人間で、昨日までは同列の後輩であったのに、いきなり上司となった場合の方が、対処は難しい。こちらは報酬の問題ではなく、自分の能力との比較の問題であるからだ。やはり「何であいつが?」ということになった。相手もそれをわかっていて「君の経験と能力が必要で、そのノウハウを全社的に広げたいから協力して欲しい」とか「君は今の倍以上の給料を貰ってもおかしくはないと思っている」とかおだてられて、その気になってしまった。いつも自分を立ててくれるので、そのうち年齢や経験の差は気にならなくなった。

今から思えば、若いのにこの点は経営者としては、大したものであった。プロ野球監督などプロスポーツの監督の立場もこうしたものであろう。監督よりも高い報酬の選手はいっぱいいるし、全員自分より選手の方が若いはずである。優勝することが監督の任務であるから、そのためには優秀な選手を雇い、気持ち良く働いて貰って、最大限の結果を出して貰う必要がある。

最近の仕事は、外資系企業のソフトウェアに関連することをやって来ているので、相手の経営者達は30代前半がほとんどである。優秀な人材と技術があったら、それを使ってビジネスが出きれば面白いと考えてやっている。

こうしたことは、頭で理解は出来ても、技術者がなかなか技術者であることを捨てられなで、年を取ってからあわてることになるのは「最新技術さえ見に付けていれば、仕事は必ずある」と技術者になった人は皆信じているからである。技術者を捨てる必要はなく、広く浅くして、管理職としての能力を身につければ、特に同じ仲間である技術者を管理できれば、それはなかなか代替者のいない貴重な管理職となるのである、と私は言いたい。そのためには自分より優秀で給料の高い技術者をうまく使いこなす術を見に付ける必要があるが、そこは同じ技術者であったことが強みとなろう。そして更に英語のコミュニケーション能力もあれば、鬼に金棒である。

以前に紹介した東京エレクトロンの新人教育で、経理部長が言ったことは、後々に役に立ったので、ここで紹介しよう。それは、「人間誰でも健康であれば、年収250万円は貰える。その上に何でも良いから専門職として一人前になれば、500万円は貰える。そして英語が使いこなせれば750万円は貰える。最後に管理職として一人前になれば1000万円以上は貰える」ということであった。当時の1000万円は、今では2000万円くらいであろうか。だから倍にして考えてもらえば良いと思うが、なかなか含蓄のある言葉である。管理職としていくら優秀でも、今の時代に英語が駄目なら2000万円は貰えないということである。

ついでに、企業に勤める場合に「出世したい」という願望を持っている人は多いと思われるが、これも考え方で、自分のピラミッドである組織と権限を大きくしよう、と考えていると、なかなか難しい。これも東京エレクトロンの子会社の社長に言われたことであるが「社長の仕事というのは、毎日いつ辞めるかを考えることだ」ということである。辞めるためにはビジョンを設定して方向性を明確にし、人材やパートナーを育て、プロセスを確立し、利益体質にして、自分がいなくても安心して後任に任せられるようにする、ということである。どんな仕事も同じで、今任されていることを如何に早く卒業し、後任に渡すかを考えることが早く出世する道であると私は思う。「私はお茶汲みに入ったのではありません」とか「何で私がトイレ掃除をしなければならないの」と考えるのではなく、この仕事を早く完璧にこなして誰からも誉められ、認められるようになろう、とすれば、次の仕事は向こうからやって来るということである。私は過去に一度だけわがままを言って「マルチメディアの仕事をやらせて下さい」と自分から仕事を選んだが、それ以外は向こうからやって来たものである。それも予期しない時に来ることが多い。

唐澤豊@唐澤塾
神とコンピューター ~その類似性~ (22) コンピューターに魂は宿るか?
住友銀行が我が社のメインバンクなので、社長兼経理兼営業の私は、時々神田橋支店に行くわけだが、今日行った時、待合席の横に置いてある雑誌の中に「すみとも 秋号」という住友グループの情報誌があったのでパラパラと見てみると、今回の特集は「一粒のご飯から」ということで、米に関するいろいろな記事が載っていて、その中で「米には神の魂が宿る」文:矢野憲一、という記事が目に飛び込んで来た。このシリーズを書き始めてから「神」と「コンピューター」という文字がやたらと気になるようになっているせいだろう。

この文を書いた矢野さんの略歴を見ると、伊勢神宮の禰宜とあり、伊勢神宮での祭事は、基本的には「聖寿の万歳とお米の豊作を祈る」もので、年間に千数百ものお祭りが行われているという。365日に千数百もどうやって?と思うと、内宮、外宮、それぞれの別宮、摂社末社と全部で125もあるということだ。そんなにあるとは、今まで全く知らなかった。その文章の中で以下のくだりが最も重要なメッセージだと思うので、無断で転載する。

「お米は日本人にとって単なる農作物ではない。『日本書紀』などに伝えられる神話でもわかるように、米のなかに神の魂(スピリット)が宿っていて、稲魂を通じて民族の祖神と一体となり、新米で民族のエネルギーを更新できると信仰してきたのである。」

なるほど、こうした考えがあったのか、と実家が農家で米を作っていたにも関わらず、こうした話には始めて接した。だから米の自由化には絶対反対という意見が日本にはあるが、西欧人にこれをストレートには説明できないから、貿易摩擦として残っているのだなと納得した。

そもそも、天照大御神が「これこそ顕見蒼生の食いて活くべきものなり」と稲の種を「ににぎの命」に「寄さしまつられた」のが日本で米を作り始めた最初であるとのことである。顕見蒼生とは「うつしきあおひとぐさ」と読み、現世の人間つまり日本人を指し「ににぎの命」は天照大御神の孫だという。「寄さしまつる」とは「寄託される」ということで、米は神から頂いたものではなく、未だに寄託されたものだというのが、伊勢神宮ひいては神道の考えということである。そこには神の魂が宿っていて、神の分身としての米を我々日本人は毎日食べているということになる。

ちなみに、このアンケート調査統計では、30%の日本人が毎日3食とも米を食べるという。昼食は83%の日本人が米を食べる。最も食べないのは、以外なことに、50代女性で朝食に食べるのは29%という結果である。ところが彼女達は昼食では88%、夕食では94%と他のどの世代に比べても最も多い。

さて、米には神の魂が宿るとして、コンピューターにはどうであろうか?そうしたら、Kさんの書いた中に以下の2節があったので、私の考えを述べてみたい。

K wrote:
●アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
 そのロボットの世紀。最大の関心は、果たして人間の意識をロボットは持つことが出来るのか? 先日、唐澤さんとのお話でもこれが一番盛り上がった。「2001年宇宙の旅」に登場する「HAL9000」は果たして意識コンピューターであったのか? さらに「HAL9000」は実現するのか?
http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/~kodama/literature/sheep.html

夢を見るということは、人間と同じ霊魂・心・意識を持つということであると定義したい。アンドロイドに魂はあるか?と聞かれれば「ある」ということになろう。アイン・シュタインの発見したE=mc2はそれを表しており、物質とエネルギーは可逆変換性があるということである。更に最近の物理学では、意識とエネルギーも可逆性がある、ということが証明されつつある、ということだ。「百匹目の猿」の話は日本では有名である。ハーバード大ではラットを使った実験をして、親の学習が20代も後の子孫にも伝わったから、後世になるに従い、学習時間が短くなったという。更にそれが、全く別のラットを使ってオーストラリアで別の学者が実験しても学習結果が伝わっていたという。

これらの現象は、意識がエネルギーとなり空間を超えて伝わったということであろう。意識とエネルギーと物質とはある関数の基に可逆変換性があるということになる。日本では、筑波にある電総研にいた研究者がこの関数を発見し発表しているということである。発表当初は馬鹿にされて、誰も相手にしなかったが、最近は世界の物理学者の中にはそれを実証してみようという学者も現れているという。

以前にも述べたことであるが、コンピューター・システムも最初ははずかしいのか、人見知りをして、身内の人間の前では調子良く動いていたのに、いざお客様に見て貰おうとすると、途端に動かなくなることが結構ある。しかし、現在、普通の技術者はどちらかと言うと神や霊魂を信じている人間は少ないので、コンピューターに魂を込めたとしても「お願いだから明日のデモの時は調子良く動いてよ」という程度のことで、人間の魂を込める程の超人的エネルギーは操れないであろう。

しかしこれが、日本人の大多数が同じ意識レベルになると、その総エネルギーたるや「山をも動かす」ということになるだろうと思われる。だから皆が「不景気だ」とか「世の中悪くなる一方だ」と思えばそうなってしまうということであろう。

波動の研究者である江本勝さんの本の中に「誰でも空に浮かんでいる雲を消すことができる」ということが書いてある。私はまだ半信半疑の頃にこの本を読み、そんなことはないだろうが、1回だけやってみようか、と思い、書かれている通りの方法でやってみたら、本当に消えたのである。このことも、現在の一般常識では信じられていないことも、まずは勉強してみよう、と思わせるきっかけとなった。技術者の私としては、第三者の前でやって確認をしているので、私だけの錯覚ではない。これは、意識を集中すれば、そのエネルギーが雲を水蒸気にするくらいになれば、消えるということか、あるいは、意識エネルギーの総和が雲を可視の世界から非可視の世界に移動するくらいにすることは容易である、ということではないかと考えている。

コンピューターであるHALには意識はあったのかということであるが、魂はあったが人間と同じレベルの意識はなかった、ということではないかと考える。もしもあったら、あの時、眠りにはつかないで、宇宙飛行士を金縛りにするぐらいのことはできたはずであるから。あるいは、宇宙船もろとも爆破していたかも知れない。物質は消えても魂は残るはずである。それがわかっていて初めて神の分身である人間と同等意識と言えよう。

K wrote:
●コンピューターが神に近づく日
 「神とコンピューター」唐澤さんのテーマであるが、実際に「意識コンピューター」という概念も研究されている。バイオテクノロジーとコンピューター工学を合致させて「生体コンピューター」という発想もある。なかでも突飛なのは脳の一部をコンピューターに置き換える、つまり、脳のCPUを上げようという考えだ。脳波で機械を動かす仕組みも研究されている。コンピューターが意識を持つのでなくて、人間自体がコンピューター化する。そこで、人間そのものが「超人=神」となる。このことが実現する日のほうが早い気がする。
http://www.nikkei.co.jp/pub/science/page/honsi/9701/mokuji.html

これにつての私の見解は、少し違う。現在の研究レベルは、コンピューターを操作するのに、キーボードやマウスや最近の音声認識などによるのではなく、意識したら、その意識が伝わり操作できるようにしよう、ということで、主体は人間であり、思考するのは人間である。コンピューターが神に近づくということはなくて、コンピューターがどこまで人間の思う通り、自由に操作できるか、ということである。

コンピューターやアンドロイドや動物が人間の意識や意志の力を超えるということはあり得ないことである。それは神がそうプログラムしなかったからだ、と私は思う。もしそうなるとしたら、まず人間と同じかそれ以上のDNAが組み込まれなければならない。人間はクローンを作ったり組換えたり出来るようになったが、無から新しいDNAを創り出す術はまだ知らないからである。

それは今のところ「神のみぞ知る」である。

唐澤豊@唐澤塾
続・神とコンピューター(2)---馬鹿になれ!
0219利根川方面の雲

私が参加しているソーシャル・ネットでの知り合いの女性が、師と仰ぐご住職さんから「馬鹿になれ!」と言われたので、まだひとりで体験していないことにチャレンジしたい、と日記に書かれておりました。

それに対して、それは違うのではないか?馬鹿になって何でもやるという意味ではないだろう、という書き込みもありました。

津留晃一さんは人生の目的は体験することであると述べておられますが、そのためには一切の価値観を手放し、今を生きることだと説明されています。

アダムとイブが神々の住むエデンの園という天国で暮らしていたのに、智恵の木の実を食べてしまったため、その末裔である人類は、智恵を付けることが良いことだ、それが魂の進化だと思い込んで、神々からどんどん遠ざかってしまった。元々はひとつの思考=神であったので、神に戻るためには智恵を捨てればいい。即ち、馬鹿になればいいということです。

でも冒頭でご紹介した女性の例だけでなく、我々はなかなか馬鹿になれないものです。それは、善悪、損得、苦楽、上下、優劣、真偽、良否、正邪、勝ち負け、など、様々な価値観を身に付け、それらで比較判断し、その結果を記憶に留めて既成概念として蓄積しているためです。

馬鹿になれ、と言われても、なかなかそうなれません。でも、・・・これをしてはいけないよね?やぱり、・・・これはやらなきゃいけないよね?と世の中には「やるべきこと」と「やっていはいけないこと」という常識があると思い込まされて育てられて来たわけですから、そうした価値観を簡単に手放すことはできませんね。

人生の目的が体験することであるとするならば「やるべきこと」も「やってはいけないこと」も無く、何をやってもそれが本来の目的にかなっていることになります。やってはいけないと思っていたことも、輪廻転生する間に、いつかはそれを体験することになるわけです。

そうすると「馬鹿になる」ということは、世の中の常識や自分の既成概念に囚われずに、自分がやりたいこと、好きなことを体験すればいいということになりますね。

他人の体験である経験を追い求めて、一喜一憂しても余り意味がないし、五感を通して体験するのではないネット上での経験もそれだけでは意味がなく、自分自身の体験に繋げるための経験とするならば、意味があることになります。

また、未来のことを心配するよりも、ドラマや映画を見るように、今、この瞬間にどんなにワクワクするような体験をするか、感動できるかが重要だということになります。そしてその次はどんな展開になるのか、ただ楽しみに待てばよいことになりますね。それが今を生きる、ということだと、津留さんは述べておられますが、これがなかなかできないものです。

唐澤豊@唐澤塾
http://sohmokutoh.blog9.fc2.com/
http://www.irisa.com/jp/

続・神とコンピューター(1)---人生で重要なことは経験ではなく体験
人生の目的は体験することである、と津留晃一さんは述べています。

▼津留晃一の世界
http://www1.ttcn.ne.jp/~turu/

こうした考え方は、最近は段々と支持されるようになっているようですが、
従来の多くの宗教や哲学が人生の目的について、示そうとしていたのは、
そうではなかったということは皆さんもご存知の通りです。

しかし、ヒンズー教の神、ラムサが米国人女性を通して語るのは、
津留さんが述べていることと同じようなことで、昔からこういう考え方が
無かったわけではなさそうです。

ラムサによると、

ビッグバン以前は「思考」のみが在り、色々考えた末、何か面白いことができないか?
と宇宙を駆け巡る電磁波を造り、しばらくはそれで色々な経験をしたけれど、
飽き足らなくなって光を造り、即ちそれは可視の世界である物質を造ることであり、
惑星などを造ったということです。それで、またしばらくは色々と経験したわけですが、
もっと面白いことはできないか?と植物や動物を創るわけです。

それでまたしばらくは、様々な経験をするわけですが、それでもまだ飽き足らなくて、
「思考」の分身である「魂」を込めた人間を創った、ということです。
思考=神=源=創造主など、色々な言い方がありますが、ここでは神としましょう。
神は、経験はできるけれど、実体を持たないので、体験はできないわけです。
そのために人間を造り、あらゆる限りの体験を個々の人間にさせようとしたわけです。
それぞれの人間が輪廻転生を繰り返しながら、考えられる限りの体験をし尽すと、
この宇宙は消滅して、また思考だけの世界になり、それからまたビッグバンが始まる、
ということです。既にこうしたことを何度か繰り返して来たということです。

こうした考えからすると、我々の人生で重要なことは「経験」ではなく「体験」
ということになります。
また一般的に言われている「進化」「行徳」「積善」「修行」などではないことになります。

ここで、経験と体験の違いを、三省堂「現代国語辞典」から引用すると、

「経験」は、「経験を積む」や「経験者募集(ぼしゆう)」のように、長期間くり返しおこなってきたことや、そこから得(え)られた知識や技術(ぎじゆつ)をさす。「体験」は、「恐(おそ)ろしい体験」「戦争体験」のように肌身(はだみ)で感じた鮮烈(せんれつ)な印象(いんしよう)を残す経験についていう。

ということで、ほぼ同じように使われている感じもしますが、「肌身で感じた鮮烈な印象」
が「体験」であるということで、思考の世界で経験することとは区別できそうです。

インターネットが普及して来て、ネット上で色々な経験ができるようになり、
それで何でも事足りる、と考える人が増えているように思われます。
最初の頃は、現実の世界を「実社会」と言い、
コンピューターで作り出された世界を「仮想現実(バーチャル・リアリティー)」
と言っていましたが、最近はそれを省略してただ「バーチャル」になっていますね。

そしてインターネット上の世界を「ネット社会」と言っていましたが、
初期のウェブから進化した最近のウェブ・サービスをWeb2.0と言うようになり、
それからの発想と思われますが、実社会の「世間1.0」に対してネット社会を「世間2.0」
という言い方で議論している人たちもいます。

また、パソコン通信が普及した頃、富士通がアバターという自分の分身を使って
仮想社会で色々な人と出会い、会話をしたりして遊ぶ「ハビタット」というものを
提供しておりましたが、それと同じようなものだと思いますが、
Second Lifeというか壮仮想社会が最近、米国で流行り始めたとのことです。

しかし、ネット上の仮想社会で、どんなに経験しても、体験にはならないわけで、
ネットはあくまでも体験するためのきっかけを作る道具、と考えた方がいいと思います。

「百聞は一見に如かず」と言われ、どんなに色々なことを他人から聞いたり、
他人の書いたものを読んだりしても、実際に自分の目で見ることには及ばない、
ということですが、自分で見ていると思っているのも、実は反射光が網膜に映り、
それを脳で、過去の情報と比較して判断しているわけで、そういう意味では
バーチャルであるとも言えます。

もしかすると、というか必ずそうだと私は考えていますが、
それぞれの人の目のレンズや網膜の周波数特性や感度は詳細では異なるはずで、
同じ物を見ても、それぞれの人では、色や形が微妙に違うと考えた方が正しい、
ということになるでしょう。

そうなると「百聞は一見に如かず」とは
単に目からの情報のことだけを言っているのではなく、
耳で聞く音、鼻からの臭い、肌の触感、舌での味、そして第六感と言われる霊感や勘など
人間の全ての感覚を通して感じるもの、即ち「体験」のことを言っているのだと思われ、
正しくは「百聞は体験に如かず」と言うべきかと。

バーチャル経験で十分だと思っている風潮が世間では広がっているように思いますが、
それは人生の目的から遠のく行為であって、輪廻転生を何度繰り返しても
本来の目的を達成できないことになるでしょう。

昨今では様々な悲惨で醜悪な事件が世界各地で起きていますが、
それらを憂い、怒り、悲しんでも、それはその当事者が必要な体験をしているのであって、そうしたニュースを聞く我々の体験には意味の無いことです。
文学・芸術・スポーツなども、他人の体験であって、自分には経験が増えるだけです。

それより、もっと感動する体験をたくさんする波乱万丈の人生を送ることこそが
我々人間本来の目的であると思う今日この頃です。

唐澤豊@唐澤塾
http://sohmokutoh.blog9.fc2.com/
http://www.irisa.com/jp/



PROFILE
唐澤 豊
  • Author:唐澤 豊
  • 還暦を期に長髪から一気に坊主頭にしました。これから20年間、第2の成人を迎えるまではこれでいこうと思います。でもやっぱり冬は寒いし、夏は暑いので、帽子を愛用しています。
    ●情報通信業界の米国系企業を中心に40年間、営業以外の仕事はほとんど経験。技術以外には、マーケティング・ブランディング、組織論、人事評価制度、企業文化なども経験。今まで3つ会社を始めましたが、被買収・売却などの後、4つ目の会社を後任に任せたところで、一昨年、仲間2人ともうひとつ会社を設立し、非言語コミュニケーションのサービスを開発中です。
    ●経営労働管理士。日本躾の会理事。
    ●音楽(ビートルズ、S&G、フォーク、ニューミュージック等)、グラフィックデザイン、水彩画を趣味とするので、マルチメディア技術の活用に大いに期待しています。読書、宇宙の真理探求が最近の趣味。ストレッチ、真向法、西勝造先生の西式健康法を実践中。
    ●故津留晃一さんの著作や講演録(CD)に触れて「人生の目的は体験することである」ということに納得しています。
    ●詳しいプロフィールは「自己紹介」のカテゴリーにあります。
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